プラモンコンテープムニー・ソッド・チャンタサロー

タンマガーイの叡智を発見した師

 善行の模範となる師 

プラモンコンテープムニー(ソッド・チャンタサロー)または“ルァンプー・ワットパクナム”の名で知られる大師は、タイで有名な禅師の一人です。大師の教えは、内にあるタンマガーイへと到達するための瞑想法です。“静止こそが成功の秘訣である”は大師のお言葉です。

ワット・パクナム・パーシチャルーンの住職を務めていたとき、大師は戒律と礼儀を遵守する方で尊敬に値し、数多くの人々に知れ渡るほどでした。大師は立ち居振る舞いが美しく、美徳を兼ね備えていました。学習、実践、涅槃、説法においても完璧でした。

大師は忍耐強く、勤勉で寺院の運営能力もあり、僧侶や見習い僧の指導もしていました。さらに三蔵の学習に力を入れ、ダンマ(仏法)とパーリ語の学校を設立し、当時では最新鋭の三蔵学習学校を建てたのです。

大師が僧侶や見習い僧、人々とから愛され、尊敬されていたのは、大師が全員に対して愛情と慈しみを持っていたからです。まるでそれは我が子を想う父親のような純粋な愛情でした。またタンマガーイの叡智に基づいた瞑想を一つ一つ丁寧に指導しました。それによって国内でも1、2を争うほど有名になったのです。数多くの僧侶や見習い僧、人々が学習や瞑想の指導を受けに訪れました。

慈愛溢れるルァンプーは、世界中の人々が本当の幸せに巡り合うためには瞑想しかないと知っていました。故に大師は生涯を賭して人々が内にあるタンマガーイへと到達するための瞑想指導を続けたのです。それによってこの瞑想法は国内外にまで広がりました。100から10万にまで増え、世代から世代へと伝えられ、今現在まで知られるほど広がったのです。

 ルァンプーの生涯 

ルァンプーは、1884年10月10日スパンブリー県ソーンピノーン群ソーンピノーン区の“ミーケオノーイ”の一族父グンと母スッチャイの間に誕生しました。幼少の頃、大師はワット・ソーンピノーンで僧侶をしている叔父から勉強を教えてもらい、クメール語をナコーンパトム県バーンレーン群にあるワット・バーンプラーで学び、読み書きが出来るようになりました。初等教育が終わると両親の手伝いをし、米を舟に積むとバンコクやナコーンチャイシー群の工場に卸していました。仕事に熱心で一生懸命に取り組み、商売も順調に成長していき、生活も豊かになっていきました。

大師が14歳を迎えた年に父親がこの世を去り、大師は仕事を引き継ぎました。大師は面倒見が良く、部下に愛され、尊敬されていました。さらに大師は仕事熱心なこともあり、商売が順調に成長していき、その当時でも有数の地位に就いていました。

人生の真実を理解する

大師が19歳を迎えた年のある日、大師は米の売上金を積んだ舟を漕ぎ、近道である小さな運河に入りました。そこは人々がバーンイーテーン運河と呼び、強盗が多く潜んでいる場所でした。大師は死を身近に感じるとそこで発願しました。

“まだ私は死ねない。出家するまでは死ねない。出家したら還俗せず、一生出家生活を続ける。”

“お金を稼ぎ、生計を立てることはとても辛い。私の父もそうであった。暇な時間もない。いち早く生活を安定させるほどに稼がなければ貧しくなり、誰にも尊敬されず、近所では肩身が狭くなり、対等に話すことも出来ない。一族の祖先たちもこのように生活してきた。そして、父と私の代になり、同じような生活している。祖先たちは死に、私もそのうち死ぬ。私はなぜいまだにお金を稼ごうとしている。それらは死んだら持っていけない。なら、出家した方がましだ。”

出家したら還俗しないと決意すると母のことが心配になりました。そこで母が生活に困らないほどのお金を稼ぐために仕事に励みました。

出家

1906年7月、大師はスパンブリー県ソーンピノーン群のワット・ソーンピノーンで出家し、僧侶となってチャンタサローという法名を授かりました。

出家した翌日からルァンプーはスパンブリー県バーンプラーマー群のワット・ノーイの師僧ニヤム僧侶の元で瞑想に励みました。雨安居1年目での三蔵経教法の学習において大師は、アウィチャーパッチャヤー(無明によって)という言葉の意味を知りたいと思っていました。しかし、誰も知りませんでした。そこで大師はバンコクで三蔵経教法を学ぼうと考えました。

ワット・ソーンピノーンでの雨安居を終えると三蔵経教法を学ぶためにバンコクのワット・プラチェートゥポンウィモンマンカラーラームに赴き、雨安居を過ごしました。それ以外にも大師は止観瞑想の師を探しました。各地の高名な師僧から学び、師僧からも瞑想の成果を認められました。師僧から、三蔵や各経典からの経の学習も理解が深まりました。

悟りの日

1917年雨安居11年目から12年目にかけて大師はワット・プラチェートゥポンウィモンマンカラーラームからノンタブリー県のバーンクーウィヤン区にある喧騒から離れたワット・ボート(ボン)に赴き、雨安居過ごしました。

1917年10月の白分の第15日の仏日(満月の日?)、僧侶たちと共に本堂でパーティモカを聞き終えるとルァンプーは本堂のご本尊の前に座り、瞑想を始めようとしました。そして、宣誓したのです。

“ブッダよ、どうか慈悲を。ブッダの悟りを私にも授けてください。もしブッダの仏教に益となるのであれば慈悲をもって大いなるダンマを私に授けてください。私は一生をかけてブッダの仏教の証人となりましょう。もし私がブッダの教えを知ることでブッダの仏教に害をなし、益にならないのであれば、私はこの命をブッダの供養に捧げましょう。”

すると大師は瞑想で心が静止し、内にある悟りの身体を見つけました。それは足を組んで瞑想しているブッダの姿で頭部は蓮の蕾のようで三十二相を備えた完璧な姿でした。明るく、非の打ち所が無い美しさです。ここまで到達した瞑想を“タンマガーイに到達した”と呼びます。大師はすべての人間の内には身体があり、それが幾重にも重なっていること、そしてすべての人がタンマガーイに到達できると発見したのです。

悟りを開き、タンマガーイに到達した後、大師は瞑想でワット・バーンプラーに大師と同じようにタンマガーイに到達する人の姿を見ました。雨安居が終わるとルァンプーはワット・ボートボンからナコーンパトム県バーンレーン群にあるワット・バーンプラーに移りました。大師は4か月の間僧侶と人々に瞑想を指導しました。三人の僧侶と四人の在家が大師と同じように悟りを開きました。

ワット・パクナムの住職に就任

1918年、パーシチャルーン区の長(所属の僧団を管理する地位)であるプラワンラッタ猊下はルァンプーにワット・パクナムの住職を任せました。大師は4人の僧侶を伴って訪れました。

ルァンプーは有言実行で寺院を厳格に管理しました。しかし、勉強好きだったので全力で勉学を推奨し、支援しました。同時に心の育成にも力を入れました。

日々のお勤めとして僧侶と見習い僧の朝と夕の御経を監督し、仏日や日曜日には本堂で自ら説法をしていました。昼と夜に僧侶たちを伴って瞑想をし、木曜日の午後2時には僧侶や見習い僧、優婆塞や優婆夷に瞑想を指導しました。

1957年、王から僧位の昇格を賜り、プラモンコンテープムニーの称号を授かりました。1959年僧歴53年75歳、ワット・パクナム・パーシチャルーンのモンコンチャンタサロービルで静かに亡くなりました。

 ルァンプーの美徳 

ルァンプーの特長について考えれば、なぜ大師が確固として善行に取り組み続けることが出来たのかを知ることが出来ます。あらゆる困難に打ち勝ち、数多くの人々にタンマガーイの叡智を普及しました。

だからこそ、ルァンプーの生涯を学ぶことは、実際に起きた様々な出来事から善行のお手本となり、問題を解決する方法を学ぶことが出来るのです。その経験をもとにして人生の指針を改善し、正しい道に進むことが出来ます。さらに大師の美徳を善行や瞑想の支えにすることが出来ます

確固たる人生の目標

ルァンプーの確固たる意志と一つのことに専念する決意は、大師がバーンイーテーン運河を渡ったときのことを見れば分かります。強盗が数多く潜んでいる場所で大師は船尾で銃を構え、周囲を警戒していました。バーンイーテーン運河を渡り終えると大師は考えました。一族の祖先から父の代まで常に困難と危険に晒されていたこと。さらに財産を築くために時間を浪費していたこと。しかし、死んでしまえば、それらの財産は一切持っていくことは出来ない。大師自身もいつか死ぬと。このように考えた大師は一生出家生活を続けるという目標を立てました。そのときから、何年経とうとも大師は変わることなく、意志を貫き通しました。

ダンマを求めて世俗を捨てる

大師は決意した通り、出家して僧侶となりました。大師はただ出家生活を送っているだけではなく、何年もの間学習と実践の両方からダンマを学ぶために時間を費やし、努力していました。他人に教えられるほどに精通した知識を持っていました。

師僧の知識を求め、各地で瞑想指導を受けました。大師が何年もの間欠かすことなく、続けたことからも分かるように大師は出家のときの誓いを守っていたのです。本当の人生の本質となるダンマを追い求めました。ルァンプーの僧侶としての人生は財産を惜しむことなく、世俗を捨てる決意をした以上の価値がありました。

決断力と真面目

真面目な性格から何かを決意したとき、それを達成させるまで取り組み続けます。それはルァンプーがブッダの悟ったダンマに到達したいと願ったときのように、大師は何年もの間諦めることなく、欠かすことなく、瞑想に励み続けました。その努力はついに実りました。大師は心を完全に静止させ、一つにすることでブッダの辿ったタンマガーイに到達したのです。これが“静止こそが成功の秘訣である”という言葉の由来です。

このようにルァンプーの発見したタンマガーイに到達する方法は偶然手に入れたような簡単なものではありません。それはルァンプーが諦めずにブッダのダンマに到達するため、瞑想に人生を捧げるという決断と努力によるものです。到達できなければ、決意を捨てることも止めることもしませんでした。師僧を探すことに努め、欠かすことなく自分で実践を続けたのです。

だからこそ、これまでに語ってきたルァンプーの美徳は、善行の模範となるために自分で実践することができます。そして、それは私たちの瞑想を成長させてくれるのです。

 ルァンプーの黄金像を鋳造することで恩返しの供養 

ルァンプー・ワットパクナム大師は、内にあるタンマガーイに到達する難しさを知っていました。長く失われていたブッダのタンマガーイに到達するための方法は奥深く、非常に価値のあるものでした。大師の一生は、瞑想を指導することに捧げられました。そのため、大師の評判や名声は世界中で知られるようになったのです。

ルァンプーの時代から受け継がれた願意は、数多くの弟子に受け継がれました。その一人がクンヤーイ・マハーラタナウバシカ・チャン・コンノックユーンです。そしてその願意は現在にまで受け継がれました。それがルァンポー・タンマチャヨーです。瞑想を指導する師であるルァンポーは善行を成す中心地としてタンマガーイ寺院で、国家と社会、さらに世界中の模範となる善人を育成しています。

タンマガーイの叡智という言葉、功徳と波羅蜜を成すために人間として生まれた価値を教えてくれたルァンプーへの大恩を想い、世界中のルァンプーの子や孫、弟子や孫弟子は恩返しのために協力してルァンプーの黄金像を鋳造し、諦めることなく善行を成した大師を後世の人々が模範とするため、大師が波羅蜜を行なった生涯を辿った7カ所の重要施設に安置しました。

 大師の道を辿る7カ所 

1.生誕した地:プラモンコンテープムニーの大堂(スパンブリー県、蓮の葉の形をした土地)

2.一生涯出家することを願意した地:ナコーンパトム県バーンナーンテン運河

3.出家した地:スパンブリー県ワット・ソーンピノーン

4.悟った地:バーンクーウィヤン区ワット・ボートボン

5.最初にタンマガーイの叡智を布教した地:ワット・バーンプラー

6.タンマガーイの叡智を布教し研究した地(最期を迎えるときまで):ワット・パクナム・パーシーチャルーン

7.世界中にタンマガーイの叡智と仏教を布教した地:ワット・プラタンマガーイ

 人生を送る上で模範となる師 

人間の寿命は約70年から80年です。そのため、何度も成功と失敗を重ねるだけの時間をありません。もし誤った人生の目標を立て、人生の道を誤れば、一生を無駄にしてしまうこともあります。だからこそ、正しい道へと導いてくる人生の模範となる師を見つけるのは、とても重要なことです。大師は正しい人生の目標を示してくれました。それは本当の幸せを導き、人生の最上の拠り所である内にあるタンマガーイに到達することです。さらに大師は原則を示してくれました。自分のため、人のためになる人生の送り方を。つまり、悪行を止め、善行を成し、瞑想によって心を澄んだ状態にします。それ以外にもその人生の目標に到達するための方法を教えてくれたのです。

もしも功徳を積み、善行を成すお手本となるルァンプーがいなければ、内にある幸せに到達するという本当の人生の目標を探すため、時間を費やしていたことでしょう。だからこそ、ルァンプーには大いなる恩があるのです。すべての弟子や孫弟子は価値のあるもの、素晴らしいもので大師の恩に報いるべきです。それがダンマ供養のために瞑想をし、最高に純粋で最高の福田の源である第七ベースに心を静止させることです。

ルァンプーへのダンマ供養のため、第七ベースに心を静止、停止させることは、私たちの恩返しを表すことだけではなく、世界中にタンマガーイの叡智を布教するというルァンプーの願意を実現させることにもなります。なぜなら、私たちが瞑想によって内にある本当の幸せに到達することで、その幸せの波が外側にも広がっていき、世界中の人々の心を引き寄せ、本当の幸せを求めるために学び、瞑想したいと思うようになります。

 タンマガーイ寺院の活動 

 プラモンコンテープムニー(ソッド・チャンタサロー)へのダンマ供養 

毎年ルァンプーの誕生日は、ルァンプー大師へのダンマ供養のために世界中の弟子や孫弟子が様々な儀式を執り行います。ルァンプーは、次の世代がもう一度辿ることができるようにブッダの“ダンマガーイの叡智”を発見し、仏教に多大な貢献をしました。

今年の10月10日、タンマガーイ寺院ではルァンプーの子や孫、世界中の仏教徒を招待し、共に読経や瞑想、そして慈悲瞑想を行ない恩に報いたいと思います。国内外の10万人の僧侶と世界各地の皆さんと共にZOOMアプリを通してルァンプー・ワットパクナム・ソッド・チャンタサロー大師へのダンマ供養をしましょう。さらに自分のために善行と功徳を積み、世界が危険から脱し、いち早く平穏が訪れるように発願しましょう。