ルァンポー・タッタチウォーの教え
習慣改善編
習慣とは何か
何度も繰り返し行い癖になっていることです。朝から晩まで、子供から大人になるまで行ってしまい癖になってしまいます。それをしないと機嫌が悪くなったり、イライラしたりします。それが習慣です。
はっきりとさせなければなりません。“何かを繰り返し行ない癖になっている。もし癖になっていないのであれば問題はない。”癖になっているのかを知る方法。“もししないことでイライラしたらそれは癖になっているということである。”
もしも悪い癖ならば止めるべきです。なぜなら、悪業となって天国と涅槃への道を閉ざしてしまいます。悪い癖ならば止めなければなりません。もしも止めることが出来なければ、損なことばかりです。お酒も損なことですし、たばこも損ですし、自慢もまた損なことです。
習慣は人間の善悪を決める
幼い頃から親に教育を受けられている人は、悪いことはしません。良い親に恵まれています。悪業を行なわないならばそれは運が良いことです。しかし、親が仕事で忙しく、時間がない。他の兄弟と過ごすだけであまり教育を受けていない場合、悪い習慣を身に付けてしまいます。最悪、悪いことをして大きな損失を出してしまいます。
習慣こそが人間の善悪を決定しているのです。
2019年8月24日
善行となることを繰り返す
良い習慣とは、正しい善行を慣れるまで繰り返し行なうことです。後になって起きるかもしれない危険に注意します。まだ起きてもいない危険にも注意しなければなりません。考えた後、もし危険がないと思ったら実行しましょう。実行して後になってから苦悩しないことなら、それは良いことです。しかし、実行したら苦悩になることは悪いことです。
僧侶の言葉で慎重、タイ語なら危険に注意すると言います。後になって悩ませないことなら実行しても大丈夫です。それを繰り返すことで良い習慣を身に付けることが出来るでしょう。
昔の人は良く言いました。考えなしに行動するなと。つまり、後になって後悔するようなことを考えずに行動するなという意味です。
2019年8月8日
習慣は知識や能力に影響を及ぼす
良い習慣を持ち、丁寧で純粋、誠実な人は、知識や能力を創造に活用します。しかし、悪い習慣を持ち、怠慢で不注意、利用することだけを考えているようなら知識や能力も壊すことに使います。
習慣は人それぞれの発展や衰退に影響する
学歴が何であれ、親にどんな権力があれ、もし良い習慣を持っていれば、どんな家族、どんな会社や職場にいても発展させることが出来ます。どの国にいても発展します。良い習慣にはこのような力があります。
反対に悪い習慣を持つと何処にいようと、どんな家族でも、どんな会社でも、どんな国にいても問題が起きます。
発展はそこにいる人の習慣次第です。もしもタイを発展させたいと思うならば、幼い頃から良い習慣を身に付けるように教育しましょう。在家であろうと僧侶であろうと良い習慣を身に付けて国を発展させましょう。
だからこそ、仏教を発展させたい、国を発展させたいのであれば、まずは自分の習慣を改善することです。
決断と心の訓練基礎編
すべきかそうでないかはどう判断する
ある日、一人の僧侶がサーリプッタ僧侶に尋ねました。すべきかそうでないかはどう判断するのか。正しいか間違いか、善か悪かは律で理解することが出来ます。しかし、すべきかそうでないかの判断はどうするべきでしょうか。
サーリプッタ僧侶は次のように答えました。今しようとしていることが何であれ、先のことを考えてください。長い目で見て結果がどうなるのか。もしも後になって悪となるならば、それはすべきことではありません。しかし、もしもそれが善になるのであれば、それはすべきことです。
この善と悪の二つを何で測れば良いのか。それは既に基準となる十善と十悪があります。それを正しいというのならば、私たちは原因と結果を示す必要があります。
2019年10月1日
利と損
何かをするとき、利益ばかりを見るのではなく、後にある危険や損害も見なければなりません。それからすべきかそうでないかを判断しましょう。考え、話し、実行する前に後になって何が起こるのかをよく検討しなければなりません。“利益だけを見てはいけない。後に起きる損失も見なければならない。”
2019年9月2日
後になって苦悩しないことをする
“もしも実行することで後になって苦悩しないのであれば実行しましょう。なぜなら、それは善行になるからです。”もしも後になって苦悩するようなことならば実行するべきではありません。なぜなら、それは悪行となるからです。
もしも実行することで苦悩しないこと、裁判所に行くようなこと、誰かが苦しまないこと、地獄の業火に焼かれないことならば、率先して実行しましょう。
2019年10月17日
善や悪はどう判断するのか
善や悪は測定機や測量機、どんな機械でも測ることが出来ません。では、どう判断するのか。
ブッダは次のように仰いました。“行うことで後になって苦悩にならないのであれば、その行ないは善行である。一方、行なうことで後になって苦悩するのであれば、その行ないは悪行である。”
だからこそ、何かをする前にはよく考えるべきです。後になって何が起こるのか、または次の4つについて検討してみてください。
1.自分や全体の健康に対してどんな結果をもたらすか
2.社会や周囲に対して影響を及ぼす、あるいは法律に違反していないか
3.経済に影響を及ぼし、金銭を損なわないか
4.自分や周囲の煩悩を増やすのか減らすのか、良い習慣か悪い習慣を与えてしまうわないか
少なくともこの4つについて検討してみてください。
2019年10月13日
自分や周囲が汚れていると心は逃げ出す
“信じられないことに、自分や周囲が汚れているほど
心が離れ、外に逃げてしまいます。”
朝起きて心が清々しく、気分が良くなっているときに
くだらない言葉を耳にしたら心が攻撃しようとします。
そして、嫌な臭いを嗅げば心は体に留まりません。
汚いものを目にしたとき、心が影響を受けて気分が悪くなり他人に当たってしまう。
反対に自分や周囲が
清潔であれば、心が穏やかになって体に留まろうとします。
2018年7月7日
感情に賢明編
心が曇るのを放置すると我儘になる
様々な感情に対して心が曇るのを放置し続けると、我儘な人になってしまいます。原因に耳を貸さず、誰の言葉も聞きません。その結果、勘違いをするようになり、相手を軽視し、偏見、自分本位になるのです。
2017年8月16日
嫉妬する人は、他人の成功に耐えられない
嫉妬は、成功した人を見るだけで不満を感じます。他人の失敗をみたいと思っています。他人の成功に耐えられないのです。このような人間はいます。
だからこそ、皆さんはそのような人間になってはいけません。どんなことでも成功した人を妬んではいけません。相手の成功を喜びましょう。そして、私たちは自己啓発に励み、さらに功徳を積み重ねましょう。
2018年1月3日
苦痛と煩悩に耐える練習をする
日差しや雨に耐えるのは些細なことです。練習しなければならないのは、苦痛と煩悩に耐える練習です。これはとても難しいことです。
罵倒されて怒らないのは難しいことではありません。しかし、称賛されて微笑まないことは難しいのです。
なぜなら、称賛されて微笑めば増長してしまい、人間関係を悪くしてしまうこともあります。
働くようになるとお金が入ります。このお金こそが人間関係を悪くします。
煩悩に耐えられなければ、そこで終わってしまいます。働くことによって人間関係と煩悩への忍耐が身につきます。
2019年2月7日
大地のような心
大地のような心というのは、私たち人間の心は大地に似ていません。しかし、火にあぶられた蜜蝋のように簡単にしなだれます。ブッダはラーフラ僧侶に大地のような心について説きました。“大地は香水をかけられ喜んだり、落ち込んだりするか。そんなことはなく、ただ平然としている。臭いものをかけても苦しむか。ただ平然としている。ラーフラよ、そのような心を持ちなさい。誰かに何をされても問題にしてはいけない。自分の修行に専念しなさい。そうすれば、すぐに煩悩を消しさせることが出来る。”もしもこのように大地のような心があれば、心に芽吹く様々なダンマは手の届く範囲にあります。私たち人間の心はあまり強くはありません。誰かに怒鳴られ、罵られただけで傷つきます。それはただの耳に入る風の振動でしかありません。扇風機の風の方が強いくらいです。ただ口から軽く漏れただけの風ですが心が傷つくのです。このようであれば、心に傷を負うことがいつまでも続きます。だからこそ、大地のような心を持つことができれば、様々な善行や美徳の受け皿となり、最大限に心に芽吹かせることが出来ます。そして、さらに心を平穏にさせてくれるのです。
どの家族でも夫や妻、または親子でもそれぞれこのような基礎を持ちましょう。そうすれば、傷つけるようなことが起こりません。そして、お互いに心を引き上げてくれます。タイのすべての家族がこのように出来れば、離婚という問題は減っていくでしょう。
引用:温かい家族 30-31ページ
しっかりと原則に従い、正しさを基準にする
仏教徒として私たちが何かをするとき、考えるすべて、行なうすべて、言葉のすべてはしっかりとした原則に従わなければなりません。
ここははっきりとしなければなりません。つまり、感情に重点をおいて仕事しないことです。正しさに重点を置きましょう。正しさとは、ダンマで言えばブッダが定めた律に従うことが正しいことです。しかし、世俗ならば既にある原則に従うことです。
私たちは誰かに感情をぶつけません。もしも誰かに感情をぶつけてしまえば、問題が起きてしまいます。そして、私たち自身や家族、仏教に対して損害を出してしまいます。ここをはっきりとさせなければなりません。原則を基準にし、感情に任せてはいけません。
2015年2月8日
上司や部下の職務向上編
指導者となるために部下として学ぶ
リーダーになる前に私たちは部下として確実になるまで学ぶ時間が必要です。知識を蓄え、経験を蓄え、忍耐力を蓄え、文句を言うことなく、大変な仕事から学びます。
すべての準備が整ったとき、私たちは大きな仕事で成功することが出来ます。それは勤勉努力と途中で投げ出すことなく、諦めることなく、長い間練習を続けてきたことへの報酬です。
2019年10月8日
辛く大変な仕事は人生を発展させる
大変さ、辛さ、難しさは私たちの能力を向上させる道具です。人生を向上させたいと思う人は、毎回両親や上司などに難しい仕事や大変な仕事を与えられたとき、諦めて仕事を受けない、また受けたのに返上してはいけません。歯を食いしばってやりましょう。もしも何かに躓いたら彼らに尋ねてください。そうすることで仕事を成功させることができ、知識や能力、経験を身に付けることが出来ます。さらに成長することが出来るのです。
2019年10月9日
太陽と月のようなリーダーシップ
ルァンポーがこのようにしているので友人は多くいます。職場の同僚や部下が気遣ってくれます。なぜなら、私は彼らを追い詰めることをしません。私には統率力と寛容性があります。それはまるで太陽と月のようです。
太陽のようにとは、彼らに守護を与えます。恐怖や危険などを私たちは防ぐことが出来ます。月のようにとは、彼等の何かが欠けているときに心を満たすことが出来ます。例えば、食事や衣服などを彼らに与えることです。太陽のようであり、月のようである人はつまり、リーダーシップを持っています。指導者になることが出来ます。それは権力で脅すような人とは反対です。それらは一時的な恐怖でしかありません。そのような力は続きません。その力を失えば張りぼてとなり、自業自得と笑われるだけです。
2019年10月31日
成長したいのであれば師を探す必要がある
もしも知識や能力の成長を望み、ダンマや知恵を高めたいと思うなら、覚えておいてください。師を探しましょう。問題を相談し、彼らの仕事を手伝いましょう。そして、彼らの仕事を立派に務めるのです。もしもそれらをすべて務めるが出来れば、目に見えて私たちの美徳は増していきます。
2019年11月1日
経営者の心髄は問題に直面した時の決断である
心にダンマの教えを持つ人は、問題への対応と対処において悪化させるような方法を取りません。
もし組織が資金不足に陥ったとしても、不正や不道徳な方法で資金調達をしようとはしません。例えば、詐欺や麻薬の売買などで問題を解決しようとはしません。
問題の解決法を考えているときでも正気があり、感情に任せることはありません。例えば、怒りに任せたり、他人を傷つけたりしません。それは問題をさらに複雑化させるだけです。
そのため、良き経営者は有能なだけでは足りません。心にダンマの教えがなければいけません。何が善で何が悪か、すべきことか否かを理解していなければならないのです。
私たち人間がこのように考える知恵を持てば、彼らの心は常にダンマの教えと結びついている状態になります。
仏教的経営指南書6ページより抜粋
上司や部下の職務向上編
誠実な人は何をしても最善を尽くす
誠実な人は、常に単純な決まりを心の中に持っています。それが“何をするにしても最大限の力を発揮して最善を尽くす。”ということです。ですが、忘れてはなりません。もしも私たちが能力の開発や改善を怠り続ければ、今日の自分が最高であっても改善を続ける友人と比べれば、近い将来彼にとって最悪になるかもしれません。
2019年10月24日
噓つきはどんな悪行も犯せる
誠実とは、誠意や実直で信頼に値し、真っ直ぐで人間として真の要素を表しています。そして、あらゆる美徳の軸でもあります。
誠実を失った人間は人間ではありません。なぜなら、美徳の軸とは心の軸でそれが折れてしまっているからです。
ブッダは仰いました。“自分が嘘をついていると知りながら嘘をつく者に、この世にできない悪はない”簡単に言えば、知っているのにも関わらず嘘をつく人は、善ではなくなります。真の悪人となります。美徳の軸が根元から折れてしまっているのです。
2019年10月26日
冗談でも嘘をついてはいけない
ブッダはラーフラ僧侶に仰いました。“ラーフラよ、ひっくり返した殻の中に水が一滴も残っていない。知っていた嘘をつく者は、まるで水の一滴も残っていないひっくり返した殻のように美徳が一切残っていない。”
“故にラーフラよ、覚えておきなさい。冗談でも嘘をついてはいけない。”
しっかりと聞いておいてください。友人同士の遊びのつもりや冗談でも嘘をついてはいけません。なぜなら、それは罪業となるからです。
2019年10月27日
嘘をつく前に自分の心に嘘をつく
嘘をつく人は、まず自分の心にある真実を映すことなく、新しく虚偽を作り出します。まるでテレビのように故障すると映像が映らなくなってしまいます。音声は聞こえるが映像は映りません。
何度も嘘をつく人は、心の映像が度々映らなくなります。結果、何が真実なのか分からなくなるのです。そして、様々な損害が後になって自分や社会に押し寄せてきます。
2019年10月28日
嘘の言葉
相手の誠実さが欠けていると示すものは、
嘘の言葉です。
しっかりと覚えておいてください。私たちを大切に思う人に、
もし私たちが嘘を言えば、彼らからの愛情を失います。
そして、私たちに嘘を言う人に対して私たちも愛情を失います。
誰もが誠実さを必要としているのです。
敬意と配慮編
優しさは相手の助けになる
私は多くの人に優しく接しました。だから、誰かが言いがかりをつけてきても仲間が助けてくれ、ある程度余裕が出来ます。このことに考えさせられました。何処にいて、何をしていても、他人を手助けすれば同じように助けてもらえ、もし手助けをしたことがなければ助けてもらうことは難しい
2018年1月3日
適切な量を与える
何かしらの援助をするにしても、適切な人に必要なものを適切な量で与えます。そして、受け取った人が無駄にせず、役立てられることです。例えるのなら、もしご飯を施しても食べられるのは数食ですが、もし田植えを教えれば一生ご飯を食べることが出来るような感じです。あるいは田植えが出来るが稲が不足しているというのであれば、稲を施してあげることで良くなります。
2019年10月30日
心の囚人を解放するために許す
誰かが私たちに迷惑をかけた、あるいは誰かと喧嘩をしたとき、3年や5年経っても私たちは忘れません。まだ相手を許していません。顔を合わせる度に思い出してしまいます。それこそが“相手を自分の心の囚人として捕えている。”ということです。
だからこそ、私たちの心は囚人で溢れかえています。その所為で考えを上手くまとめることが出来なくなります。考えを上手くまとめられないから瞑想に影響します。色々な人の顔が現れては消えてを繰り返します。それこそ、私たちが捕えて忘れていた囚人たちです。この状態を覚えておいてください。
2018年4月11日
クンヤーイが唾を吐く姿を見たから師に出会ったと理解した
ルァンポーは数多くの師を探しました。そして、私たちのクンヤーイ・アーチャーンが唾を吐いただけでルァンポーは理解しました。師に出会えたのだと。
なぜなら、クンヤーイは唾を吐き捨てるとき、そばに置いてあるA4サイズを四等分にした紙を、唾を吐く度に重ねて置いていました。
クンヤーイになぜ紙を置くのかと尋ねるとクンヤーイは答えました。クンヤーイはもう歳ですから自分で捨てに行くこともままなりません。孫たちに痰壺を捨ててもらわなければなりません。だからこそ、もしも唾を吐き入れ、手を洗ったり、または鼻をかんだりしてそのまま捨てると浮かんできてしまいます。蠅が集り、訪ねてきた信者がそれを見れば汚いと思い、捨てに行く孫たちも嫌になります。
しかし、クンヤーイのように紙を敷けば湿った紙にしか見えません。そうすれば、汚さも薄れます。自分の孫ですらこれほど気を遣う必要があります。これは相手の立場になって考えることのお手本です。
2017年11月29日